真っ暗闇の中、忍び寄る影…
薄暗い部屋で聞こえる、カタッという音。
夜のトンネルの前に立つ、ひとりの少女…。
これらのシーンは、どんな映画に出てくる? と質問されたら、大抵の人は「ホラー映画」だと答えるでしょう。それもそのはず、暗闇や黒という色は、みなさんの中で=(イコール)ホラー映画に出てくる色だと、ある程度イメージが定着してしまっているからなんです。
僕が昔働いていたTSUTAYAでも、ホラー映画コーナーは店の一番奥にあって、そこに置いてあるパッケージにはほとんど黒が使われていました。だからホラーに興味のない人はそのコーナーに行かないし、もう近づくのすら怖いんですよね。
今回ご紹介する『ミッドサマー』は、ホラー映画の常識を覆したチャレンジングな作品です。日本では “フェスティバルスリラー” という表現で宣伝され、ホラー映画が苦手な層にもリーチさせたことで大ヒットを遂げました。
内容はもちろんですが、どういうビジュアルで観客に届けるかを重視した。ホラーの定番である暗闇はほとんど登場せず、白夜という設定を使ったことで、むしろ明るくて白い印象を受けます。アリ・アスターという監督は、その感覚を元々持った上で、ミッドサマーの世界観を作り上げたんじゃないかと思うんです。白夜以外にも、登場人物をきれいに整列させたシーンや、美しいフォークロアの衣装もひとつの要素。明るさや白さをやり過ぎなくらい使ったビジュアルが話題になり、グッズはバカ売れ。大島依提亜さんがデザインしたパンフレットは即完売しました。
少し脱線しますが、オーストリアの『ファニーゲーム』という映画について少し話します。僕がこれまでの人生で見てきたなかで、一番怖かった映画です。ある家族が、夏休みに別荘に出かけるのですが、掃除をしているところに、隣人がやってきて「卵を貸してくれ」と言うんです。そこで卵を取りに行こうとしたところ、隣人が家に乗り込み、一家が監禁され酷い目に遭っていくという残酷なストーリー。何が怖いって、理由がわからないまま監禁されてしまうことなんです。“怖さ” って、理由がわかった方が安心するじゃないですか。でもこの映画ではわからない。これって、現実の怖さに近いと思うんです。お化けや幽霊が出てくるホラーって全然見られるんですけど、人間って何をしてくるかわからないじゃないですか。その怖さにはやっぱり勝てないんですよね。
人って、理解しようとか、理解して欲しいとか、そういう中での繋がりを求める生き物だと思うんです。でも何かしらの外的要因によって、自分のことを理解できなくなってしまうことがある。普段はすごく真っ当な人に見えるのに、スイッチが入ってしまうと、自分を抑えられなくなってしまって、その自分を怖いと思ってしまうような。理解し合いたいという想いが前提にあるからこそ、それが叶わなかったときの怖さが、僕は一番怖いと思っています。
話をミッドサマーに戻すと、ホラーの定番である暗闇が出てこないこともそうですが、主人公が叫ぶシーンがないのも、ちょっと異常で怖い。スクリーミングクイーンとかってよく言いますが、ホラーって大抵は、追い込まれて泣き叫ぶ人が必ず登場するんです。映画としては泣き叫ぶことでエンターテインメントになるし、「キャー!」っていうシーンってドキッとするけれど、見てる側はなんかちょっと安心できるポイントでもあるじゃないですか。でも、ミッドサマーはそういう “定番” から意識的に少しずつずらしているんです。主人公が叫ばず静かに抱え込んでしまうことで、観客は怖さを発散できずに、もっと恐怖の世界に引きずり込まれていく。ホラーっていうジャンルを見ているようだけど、いつもと何かが違うという気持ち悪さがあるんですよね。
1970年代に『悪魔のいけにえ』とか、『13日の金曜日』とか『エクソシスト』とか。ホラーブームがグッときて。その後、1990年代にはブームが落ち着いて、ホラーは過去のジャンルになったと思ったら、70年代にホラー映画を見て育った監督が、大人になって作りはじめた。それが、第2次ホラーブーム。たとえばゾンビ映画も、昔は歩くだけだったのが走るようになったり、ゾンビを飼っているという設定のコメディ映画が出てきたり。
そんなこんなでホラーというジャンルは、ゲームも含めて割ともう大衆化したんですよね。でもアリ・アスターは、また全然違うベクトルから、これまでにない美しいホラー映画をつくった。“黒” のない世界で体験する怖さ。ホラー映画全体への問題提起みたいなことをやったと思っています。
さて、『ミッドサマー』は、パンフレットも即完売だったという話をしましたが、実は映画のパンフレットって日本特有の文化だと知っていますか?デザインも素晴らしく、映画の内容をさらに深められるようなエッセイも読める。海外の人からすると、羨ましい文化のようです。パンフレットを見るのも、映画の楽しみのひとつ。ぜひ注目してみてくださいね。
イラスト / 前田ひさえ
有坂塁 (ありさか るい)
『キノ・イグルー』主宰 。中学校の同級生・渡辺順也氏と共に2003年に「キノ・イグルー」を設立。 東京を拠点に全国各地のカフェ、雑貨屋、書店、パン屋、美術館、無人島など、様々な空間で世界各国の映画を上映している。また、映画カウンセリング「あなたのために映画をえらびます」や、毎朝インスタグラムに投稿する「ねおきシネマ」をおこなうなど、自由な発想で映画の楽しさを伝える。“映画パンフレット愛好家”としても活動中。 どんなときでも、 映画の味方です。
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