黒い食卓
麻生 要一郎 研究員

「黒い食卓」

研究員の麻生要一郎さんが、 黒い食材を使った料理と、 それにまつわるエピソードを綴るコラムです。

父の釣りと「イカ墨」の思い出

亡くなった父は多趣味な人だった。何かに一気に没頭しては、すぐ冷めるのを繰り返し。僕が子供の頃からの記憶をたどると、サバイバルゲーム、モトクロスバイク、他にも色々あった。同じく一過性のものと思われた釣りは、亡くなるまでの5年くらい没頭した趣味だ。父は建設会社の2代目社長で忙しい日々を送っていたが、週末は釣り三昧。金曜の夜になると、居ても立っても居られない様子で、どこかの港を目指して夜中のうちに出かけて行く。月曜日は会社の駐車場の片隅で、釣り道具を手入れして、釣竿やクーラーボックスを盛大に干すのが恒例。本社勤務の社員達の中で「うちの会社は水産会社になるのかな?」と噂が出るほど、父は釣りに対して真剣に取り組んでいた。

釣りを始めた頃、父は釣った魚を得意げに捌いて見せた。お湯を沸かすのが精一杯な父が、急にこだわりの包丁片手に魚を捌く姿に驚いた。しかし、僕と母のリアクションの薄さにモチベーションが下がったのか、魚が上手く捌けなかったことが理由なのかは分からないが、途中からは、釣ることに専念していた。釣りから戻ると、家に立ち寄って本日のおすすめの魚を置いて、またどこかへ出かけて行く。何をしているのかはさっぱり分からなかったが、父が亡くなった時に自宅へ弔問に来た方が口々に「いつも魚を持ってきてくれて」「イカが好きだと言ったら、いつもイカを」「タコを主人がいつも喜んで」とか、随分と色々な方に魚を配り歩いていたようだ。その様子は行商に近い。

父が包丁を握らなくなってから、釣った魚は母が調理していた。母子2人で毎週、魚が届くのは、嬉しくもあり、大変でもある。食べきれないものだって多くあるから冷凍庫には、いつもイカと石持がたくさん入っていた。イカはよく釣れたし、冷凍しても鮮度が落ちにくいので保存に向いていた。石持は、塩焼きで食べると淡白で美味しいけれど、誰かにお裾分けするにはちょっと地味なので、自家消費に回される。今、考えてみると贅沢な事。イカは、様々な料理にチャレンジした。塩辛、煮物、干物、フライに天ぷら。一通りやってみると、あとは消化試合。父は作らない割に「どうやって食べたの?」と質問してくるので、イカならば、墨や肝も使ったという返事に喜ぶ。母は烏賊墨を使って墨煮も作った。そのままパンと一緒に食べたり、パスタに絡めてイカ墨のパスタにしたり。墨煮を食べると、勿論口の中が真っ黒になる。母にしたらイカを消費しないといけない!という責任感から作った料理、すごく美味しいとか、すごく好きというわけではなかった。父も亡くなり、母も亡くなり、家族3人が揃っていた頃の何気ない日常の空気感がイカ墨の味には含まれていて、僕はその後しばらくイカ墨の料理を食べることはなかった。

ところで人類がイカ墨を食べるようになったのは中世ヨーロッパ(13世紀ごろ)の頃、イタリアやスペインにおいてパスタやリゾット、墨煮等を作っていた記録が残されている。日本では江戸時代に、イカ墨を薬用に使った記録があるとか。薬用に用いられるという事は、栄養価もきっと高いはず。調べてみると含有する栄養素は、タンパク質、ミネラル(亜鉛、鉄、マグネシウムなど)、アミノ酸(チロシン、タウリン)、抗酸化作用のあるメラニンなど。しかし、そんなに大量に食べるものではないから、パスタ一杯食べたところで補える栄養価はたかが知れているかも知れないけれど、身体に良いというのは嬉しいもの。

しばらく遠ざけたイカ墨だけど、僕が大好きなイタリアンレストラン「イオタ」(四谷)で、メニューを眺めていたらふと食べたくなって、イカ墨のパスタを注文した。待っている間に、もっと季節感のあるメニュー“アジと青唐辛子のパスタ”とかにすれば良かったかなと思っていると、黒々とした一皿が登場。一口食べてみると、イカ墨のコクがしっかりとある、鮮烈な美味しさのパスタ。どこか懐かしくもあって、それから僕の一番のお気に入りメニューになった。前ならば食べたらちょっと気落ちするような料理だったけれど、今は一緒に食卓を囲んでくれる家族のような友人達がいて、その関係性がその一皿との距離を、また近づけてくれた。日曜の夕方になると、父がクーラーボックスで魚を届けに来たような気配を感じることがある。そういう時には、チョビも何かを察したかのような眼差しで玄関の方を眺めたりしているのだ。そのうちに、僕も釣りを始めてみようか。

<イカの墨煮> 
材料
・イカ 3杯
・玉ねぎ 100g
・白ワイン 50cc
・ニンニク 1片(みじん切り)
・オリーブオイル 適量
・イカスミペースト 5g
・トマトピューレ 60g
・塩 適量
・こしょう 適量
・パセリ 適量

作り方
1 イカは食べやすい大きさに切り分け、玉ねぎとニンニクをみじん切りにする。鍋にオリーブオイルを熱して、きつね色になるまで炒める。
2 イカと白ワインも加える。
3 イカ墨ペーストとトマトピューレ、塩とこしょうを加えて、30分ほど煮たら完成。
※お好みでパセリを散らして、パンやパスタと食べると美味しいです。