今回の種人は...
村木 小百合 研究員
第6回のテーマは「喪服が黒いのはなぜ?」
中編で行ったアンケート調査では、黒を通して「喪に服す」「身に纏う」ことへのさまざまな視点が得られた。後編では、黒だけにこだわり、深い黒を生み出す技術を守り続ける専門家のもとへ取材に訪れ、お話をうかがいながら、現代まで受け継がれてきた伝統、喪服を纏うという慣習、そして日本の美意識が交差する黒の世界を紐解いていく。

喪服が黒いのはなぜ?|後編

喪服はどうして黒いのか、深い黒は一体どのようにして生まれるのか? 喪服の「黒」を探求すべく訪れたのは、京都・壬生に本社を構える『株式会社京都紋付』。日本の伝統的な正装である「黒紋付」を100年以上染め続けてきた老舗企業だ。先代の荒川忠夫が残した「身体を切ったら、黒い血が出てくるかもしれん」という言葉通り「黒」だけにこだわり、現在でも長年の経験により築かれた独自の技術を用いて深みのある美しい黒を追求し続けている。

今回は『株式会社京都紋付』三代目代表の荒川徹さんに、同社の代名詞ともいえる「黒紋付」が持つ文化的背景から日本人と黒の関係性まで、お話をうかがった。

黒紋付の広まりと、長い歴史のなかで追い求めるもの

「黒紋付」とは黒無地の着物の背中、両袖、両胸の計5箇所に家紋を染め抜いた、日本の正式な礼装。いまでも主に喪服や礼服として用いられる黒紋付だが、産業としていつ発展し、日本の暮らしに根付いていったのだろうか? その背景には、染色技術の大きな変化があった。

↑黒紋付製造は、分業によって行われる。左は家紋部分を染め抜くために防染糊を置く職人。糊を作る工程から自ら行うが、国内に残る紋糊置き職人はわずか2名とのこと。右は糊置きされた反物を黒染めし、紋糊を落とす工程までを行う職人。染料に浸ける前工程では、ずらりと並んだ細い針に素早い手つきで反物を掛けていく。

『京都紋付』の創業は大正4年(1915年)、日本の黒染めに革新的な変化が起こった時代の真っ只中に誕生した。のちに100年の時をかけ、黒紋付染という伝統産業を現代へと継承していく存在となるのだが、『京都紋付』は大正、明治、昭和、平成、そして令和という時間のなかで、ただひたすらに奥行きのある黒に美しさを見出し、その深みを追い求め続けている。

壬生の良質な水に染料を混ぜ、染液の温度を上げていく。そこに針に掛けられた反物を一気に浸ける。ひとたび染液から引き上げられると、先ほどまで真っ白だった反物が均一で美しい黒へと姿を変える。

京都紋付が実現する革新的な「黒」

丁寧な染色工程、良質な水を使って美しい黒を追い求めてきた『京都紋付』だが、その長い歴史のなかで独自の進化を遂げ、世界でも類を見ない究極の黒を実現させる「深黒(しんくろ)加工」という技術をいまから40年ほど前に確立させている。
一度黒染めを施した反物に対し、さらに独自の「黒をより黒くする加工」を行い染め上げられた紋付は、文字通り「深黒」と呼ぶにふさわしい、奥行きを帯びた仕上がりとなる。

「深黒加工」は、ただ黒い染料を重ねていく従来の手法とは異なり、「光の吸収によって黒くみせる」という人間の視覚を利用した革新的な技術。光吸収率の高さでより深い黒を実現する仕組みは、WONDER#2のテーマであった「光と闇」を彷彿とさせ、同回の後編で取材をさせていただいた『暗素研』で開発される製品の理論ともどこかつながりを感じる。『京都紋付』が染める黒紋付の奥行きのある黒が、染色による「色としての黒」だけでなく、目に光が入らない状態=「闇としての黒」という科学的な視点からも成り立っていたことは、正直なところ驚きである。

深黒加工前の染色工程。染料の温度を微妙に変化させながら、数十回にもわたって生地を上下させて染めを繰り返し、究極の黒を染め出していく。

喪服はなぜ黒い?

いよいよ今回のテーマ「喪服ってどうして黒いの?」について、疑問を投げかけてみた。中編のアンケートでは、多くの人が当たり前の慣習として受け入れたうえで、自分や場への向き合い方、在りたい姿を黒に重ねる回答が多数見受けられたが……喪服としても着用される黒紋付と長年向き合い続けてきた荒川さんは、どう考えられているのだろうか。

日本の伝統文化を守り続けている荒川さんらしいお答え。一方で、西洋からブラックフォーマルの文化が流入してきたこと、さらには明治時代に政府が、背中、両袖、両胸の五箇所に家紋を染め抜いた黒紋付を「第一礼装」として定めたことも、大きな転換点になったのだとも教えてくれた。静けさと慎ましさを感じさせる黒という日本古来の感性と、西洋の礼装文化が融合し、現在の喪服として「黒」が定着した、ということなのだろう。

黒紋付のこれまでとこれから

昭和の時代まで人々の身近にあった黒紋付も、時代の流れとともに徐々に姿を消している。しかし、装いが変化し、かつての形式が失われつつあるいまだからこそ、継承してきた伝統の価値を再発見することが求められているのだと荒川さんは語る。時代の転換期において『京都紋付』では、長い歴史のなかで得てきた「黒染め」の技術を、ただ守るだけではなく、次代へとつなげる新たなアプローチを模索している。

喪服における「黒」に宿る、日本の精神性

喪に服すことと深い黒の関係性を辿っていくことで、黒という色が「色」の枠を超え、
日本人の美意識や死生観とも深い結びつきがあることが見えてきた。

黒は、陰影の奥に静かに佇む色だからこそ、故人や葬儀という場に向ける感情と、深く結びつく。

「僕にとって黒とは、人生そのものです。黒染めはある種、自己表現だとも思っているくらい。
僕の親父も“自分には黒い血が流れていると思う”という言葉を残していますが、僕も同じような感覚でいます」
そう語ってくれた荒川さんは、未来に向け、日本が誇る黒という文化を世界へ届けようと、日々邁進する。

静けさを纏う「深黒」は、新たなかたちで受け継がれ、これからの時代へと広がろうとしている。

今回お話を聞いた人

荒川徹

1958年10月10日、京都府生まれ。1981年に甲南大学を卒業後、シライ電子工業株式会社に入社。1983年に株式会社京都紋付へ入社し、1996年より株式会社京都紋付および有限会社キョウモンの代表取締役社長を務める。2001年には京都黒染工業協同組合の理事に、2022年には一般社団法人テキスタイルアップサイクルプラットホームの理事に就任。現在も「黒一筋」の信念を胸に、黒染め文化の継承と革新に取り組んでいる。趣味はサッカー。

WONDERの種人

村木小百合

「黒の研究所」研究所員

SNS 担当。黒い物の写真を撮り、instagramに投稿することがライフワーク。子供のころから、洋服を作るのが好きで、専門学校卒業後、2004年にフォーマルウェアのリーディングカンパニーである株式会社東京ソワールにパタンナーとして入社。黒の色の違いを見分ける審美眼を養う。2児の母。趣味は旅行と、美術館巡り。