「黒にまつわる映画の話」
有坂 塁 研究員

黒にまつわる映画の話

研究員の有坂塁さんが、映画に登場する印象的な「黒」や
映画の世界観をより深める「黒」の効果についてお話するコラムです。

レザボア・ドッグスの黒スーツ

黒いスーツを見ると、自然と背筋が伸びる。そんな経験はありませんか?
清潔で、無駄がなくて、少しだけ冷たい。僕のなかで、その象徴はクエンティン・タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』です。

あの6人が歩道を並んで歩いてくる、スローモーションのシーンは、何度見ても惚れ惚れします。黒いスーツということはみんな同じなのに、よく見ると1人ひとりの衣装はまったく違う。それによってキャラクターがちゃんと立ち、個性が際立って見えます。黒って、隠すはずの色なのに、逆にその人を炙り出してしまう色だと感じるんです。

『レザボア・ドッグス』は、クエンティン・タランティーノ(以下、タランティーノ)が28歳の時に作った、デビュー作。今や犯罪映画のマスターピースと言っても過言ではないくらい、タランティーノ伝説の始まりでもある作品です。昨年リバイバル上映もされたので、世代もまた1周回って、今の世代の子たちもすごい新鮮に楽しめる、本当の意味でのマスターピースだと思っています。

映画って、面白いだけじゃやっぱり伝説にはならなくて。見てる人たちがかっこいい!とか、かわいい!とかって、真似したくなる要素があるのが良い映画の条件の1つだと思うんです。『レザボア・ドッグス』は、リアルタイムで見た男子がみんな黒いスーツを着て、「ネクタイの細さをどうしよう」とか、「靴はなにを履こう」とかっていう現象にまでなった。しかもそれがファッション好きだけに留まらなかったところがすごかったんです。 

主役である6人の犯罪者。彼らのユニフォームは、みんな黒スーツなのですが、あれってみんな統一された衣装のように見えるけど、全員違う黒スーツを着ていて。もっというと上下別々のアイテムを身につけている人もいて、実際に黒スーツを着ているのって6人中2人しかいない。スティーブ・ブシェミにいたっては、ブラックデニムを履いているんです。そのちょっとした違いや “ずれ” にキャラクターの個性がちゃんと反映されているんです。

タランティーノのデビュー作なので、とにかく予算がなかった作品。なんとか企画が通って、タランティーノの書いた脚本を面白いと思った映画人から映画人に渡って、なんとか予算を確保して作った超低予算映画。 衣装に払えるお金なんかほとんどないので、役者の衣装は完全に自前。ここがやっぱりポイントで、自前の衣装だから、ちゃんとその人の体に合ってるんです。それが格好よく見える秘訣なんですよね。

もう1つ特徴的なのは、ミスター・ホワイト、ミスター・ピンク、ミスター・ブロンド…といったように、それぞれにコード・ネームがあること。黒いスーツで統一されてるのに、コードネームは色なんですよ。「なんで俺ピンクなんだ、白がいい」とかって言い出す人が出てきて、そういうちょっとところにもキャラクターを強く感じられる場面があるところも設定がうまいなって思っています。もしまったく同じ話、まったく同じ出演者で、サントラも同じで、衣装だけが黒じゃなかったらどうだったんだろうって考えると、ヒットしなかった可能性もある。

映画の冒頭、朝のダイナーのシーンなんて特に好きです。あの何気ない会話に漂う緊張感。店内の明るさに反して、彼らがまとう黒がそこに重く沈んでいるというか。まだ血も銃も登場していないのに、すでにこの物語はただじゃ済まないという感じが伝わってくるんです。黒が放つ「この先に何かある」という空気感。黒は、未来の予感を背負える色なのかもしれないですよね。

タランティーノは、黒という色の使い方が抜群にうまいと思っていて。『レザボア・ドッグス』に限らず、『パルプ・フィクション』でも、黒スーツの2人組が聖書の一節を唱えながら銃を構える。滑稽さと恐ろしさが紙一重で、あの異様なテンションを黒がしっかりと支えている。彼にとって黒は、単なる色じゃない。余計な感情や説明をそぎ落として、最後に残る “強度” を引き立てるのではと思っています。

他の映画と比べても、『レザボア・ドッグス』の黒スーツはちょっと異質で。たとえば『メン・イン・ブラック』の黒は、秩序や任務を象徴するユニフォームだし、『ジョン・ウィック』の黒は、復讐と沈黙の中にある優雅さを映している。でも『レザボア・ドッグス』の黒はもっと混沌としていて、均整が取れているようで、どこかズレている。その不安定さが魅力なんですよね。あの黒は「何者かわからない者たち」の、唯一の共通項というか。

僕自身も、黒を纏うと、いつもと違う自分になれる気がします。気持ちがピリッとして、どこかよそゆきの顔になる。
あの映画に出てくる男たちは、どこかみんなギリギリの場所にいる。その均衡を保っているのが、あの黒スーツなのかもしれません。なにかを隠すためじゃなくて、心の奥のざわつきを、そのまま包み込むための黒。だからこそ、あえて黒いスーツを選んで、勝負するような日があるのかもしれませんね。

イラスト / 前田ひさえ