
ブラックホールって、黒いの?|前編
宵闇の中、空に輝く星を眺め、遥か遠くの宇宙に想像を巡らせる。
そんな原体験は誰しも必ずあるはず。星によって輝きの強さはなぜ違うんだろう? 月はなぜ毎日形を変えるんだろう?
宇宙に対しては手が届かない存在であるが故に、多くの疑問も感じてきたはずだ。
大人になり、知識として宇宙を理解していくと「ブラックホール」なんてものを知り、
光ですらその身に引き寄せ抜け出せなくする、“黒の使徒”のような存在に畏怖すら覚えた人も多いのではないだろうか。
WONDER第5回のテーマは「ブラックホールと黒」。
今回は、飯塚大和さんからいただくWONDERの種をもとに、
宇宙、そして黒という色を投影した作品を多く手がける彫刻家・名和晃平さんのお話を聞きながら、
未だ完全な解明がなされていないブラックホールを切り口に、黒へのイマジネーションを膨らませていきたいと思う。
—種人から寄せられた、WONDERの種—
黒の原体験、黒の不思議と聞かれて思い出すのは、幼少期に家族で行っていたキャンプでのこと。キャンプ場なので当然夜は真っ暗の闇だったんですが、だからこそ、星が本当に美しく輝いて見えて、あの星々は実際にはどういう場所なんだろう、という強い興味を抱きました。未知なるものへの憧憬でしょうか、漠然とですが宇宙という存在に対して「何かすごいもの」という意識はありました。実家にあった手塚治虫の『火の鳥』に魅かれたり……宇宙への関心度は、昔から高かったように感じます。
高校生になると「Newton」っていう科学雑誌も読み始めるようになり、宇宙特集で、どうやら宇宙のいろいろな事象は数式で描けるらしいということを知りました。アインシュタインによる一般相対性理論の直感的な解釈までには至っていませんが(笑)、「何かすごい」と感じていた宇宙に対する理解は少しずつ深まっていった感じがあります。
ただ、その中でも最も理解と遠いところにあるのが、ブラックホールでした。様々なカタチで取り上げられる題材なので幼少期から名前や存在を知ってはいたものの、大人になって知識を得ても「わかる!」にはならず、ずっと「すごい!」という感嘆の対象。言い換えると、ずっとわからないものなのかもしれませんが、わからないから知りたい……観測してみたいけど、入ってしまったら二度と戻れないというジレンマ。ふと、自分が近づいたところを想像することは昔からよくありましたね。
「ブラックホール=黒い」という部分にも引っかかっています。「光の粒子ですら吸収してしまうから黒く見える」というロジックの部分は理解しているつもりなんですが、実際に何がそこで起こっているのかは、やっぱりその場に行ってみないとわからないだろう……と。
だから、天文学者だったり専門家が、最新の研究をもとにブラックホールをどう解釈しているのかには、大きな興味があるんです。(飯塚)

↑ 粘度の高い液体が床に落ちるさまざまな段階の形状を3Dモデル化した彫刻作品シリーズ「Ether」。“無限柱”のように屹立するこの彫刻は、重力と反重力が打ち消し合った仮想的な無重力状態を表現している。
Ether / Direction Installation view: “mission[SPACE×ART] -beyond cosmologies,”Museum of contemporary Art Tokyo, Tokyo, Japan, 2014
彫刻家 名和晃平が思う「ブラックホールと黒」に対する印象
—–飯塚大和さんから生まれたWONDERの種を受け、『黒の研究所』では、世界で活躍する彫刻家であり「生命と宇宙、感性とテクノロジーの関係」を投影した作品を数多く手がける名和晃平さんに、「ブラックホールと黒」をテーマにお話をうかがってみた。
近年、パフォーマンス作品の舞台美術を制作する際に「闇」のシーンを作ることが多いのですが、「完全な闇=純粋な黒」を実現するには、かすかな光さえも空間内に生じない状態を保つ必要があり、これは日本はもとより海外の劇場でも非常に難しいことなんです。翻って言えば、まったくの闇というものは日常にほぼ起こりえない現象だということです。だからこそ「純粋な黒」は、非常に高い体験としての強度を持つのだと思っています。
宇宙空間について考えていると、この世界は本来すべてが闇=黒であり、そこに置かれた物質に光が反射することで初めて色彩が生まれるのだ、ということを再認識します。私たちがふだん服などの色彩を指して使う「黒」という表現は結局のところ、この光の反射による事象の黒なんですよね。他の物質と比べて光の吸収率が高いものが、相対的に黒っぽいものとして現れているに過ぎない。本当の黒というのは、それこそブラックホールのように、光子がまったく観測できない状態を言うのだと思います。そう考えると、ブラックホールというのはとても比喩的な名前ですよね。この「ブラック」は単に黒いというだけではなく、「ブラックボックス」のように、観測や把握が不可能な状態を意味しているのだと思います。(名和)

Black Field#8 2022, oil wooden panel resin, h1620 × w1303 × d60 mm
0と1のコントラストを浮き立たせるための「黒」
—–彫刻作品からドローイング、インスタレーションまで、名和晃平さんの作品には「黒」も多く用いられていますが、そこに対して明確な思想や考え方などはあるのでしょうか?
そこに色彩を使う必然性がない場合、黒やグレー、白など色味を感じさせないものを選択することが多いです。もちろん、積極的な表現として「黒」を使うこともあります。例えば、シリコーンオイルが重力に従って細い筋状に降り注ぐ「Force」というインスタレーション作品では、本来無色透明なシリコーンオイルを黒く着色しています。高速で流れ落ちる黒い線の群が空気の抵抗を受けながら揺らいでいる様は、バイナリコードが物質化したようにも、過ぎ去っていく近代の象徴としての石油のようにも見えます。それらを通じて鑑賞者の中に、日々、情報が降り注ぐ空間で生きているという実感が生まれるわけです。白の下地に黒を乗せるのには、こうした情報が持つ0と1のコントラストを強調する側面があると言えるかもしれません。以前「Force」をドイツのカールスルーエにあるZKMで発表した際には「これはBlack Rainを表しているのか?」とドイツ人から問われ、「あなたがそう感じるなら、それが正しい」と答えました。それはつまり作品を単純な意味やメッセージに押し込めるのではなく、普遍性と多義性のある表現を目指しているということです。知覚する側の身体や意識の中で生じる”それ自体”が、自分が彫刻として提示しているものなんです。(名和)
—–「Force」は重力もテーマになっていますが、そんな部分からも宇宙との関わりが見えてきます。
「Force」には、重力の可視化というテーマがありますね。他には、「Ether」と名付けた彫刻シリーズも重力と生命をテーマにしています。写真(記事上部にある「Ether」の写真)では「Ether」の後ろに「Direction」というペインティング作品のシリーズを配していますが、これは東京都現代美術館で開催された「ミッション[宇宙×芸術]-コスモロジーを超えて」というグループ展に参加したときのものです。重力をテーマに、黒い彫刻と黒いペインティングだけでインスタレーションを行いました。(名和)

Force 2017, mixed media, dimensions variable, Installation view : “Japanorama. A new vision on art since 1970,” Centre Pompidou-Metz, France, 2017

↑ 3Dスキャンしたポリゴンの表面にエフェクトをかけ、そのデータを再び実体化する「Trans」シリーズ。存在の面影をすくい出すように人体モデルから読み取った情報(Voxelデータ)が、実体に対して影となり、現実と仮想世界のパラレルな関係を生み出している。写真の《Trans-A/E》は、パイオニア10号・11号(約50年前にNASAが木星探査のために打ち上げ、現在も漆黒の宇宙空間を進み続ける惑星探査機)の機体に取り付けられた、人類からのメッセージを記した金属板に登場する男女のイラストをモチーフとしている。
Trans-A, Trans-E 2022, mixed media, 126.0 × 51.9 × 26.4 cm / 116.8 × 46.3 × 25.1 cm
宇宙との密接な関わりを感じさせる、思考の地平線
—–具体的に宇宙と自身の作品とのリンケージはどういうところに表れていると思いますか?
そもそも地球は宇宙の一部であり、主にその重力圏内で物質を介して人間の感覚・知覚に作用するものを表現する、ということを彫刻の大きな定義と考えています。ですので、彫刻をつくるということ自体が、宇宙やそこで起きる現象、物質と切っても切り離せない関係にあります。幼少期から宇宙への関心があり、「広大な宇宙の闇の中にごく限られた薄膜のような環境があって、その中に生命がいる」という感覚を持っていました。当時はハレー彗星が70~80年ぶりにやってくるというのが話題で、小学生だった私も同級生と河川敷に集まって、ひと晩中天体観測をしていました。そこで月や星を撮影する傍ら、望遠鏡やカメラの構造に興味を持ち、プロジェクターの原型にあたる幻灯機を虫メガネで作ったりしているうちに、どんどん宇宙にのめりこんでいったんです。ガリレオやコペルニクスといった天文学者や、アインシュタインなどの物理学者に憧れたりもしていました。自然を観察することで理論や定理を発見し、人間の知性が拡張され、真理を追い求める姿勢がかっこいいな、と。例えば天動説から地動説への転換も、洞察力で発見を重ねた末に世界中の人々のビジョンを変えてしまったわけです。つまり、自分の感性にもとづいて世界を探求し新たなビジョンを描き出すという意味で、宇宙の謎を研究することも、彫刻の作品をつくることも、私にとっては地続きのことだと感じています。(名和)
—–「生命と宇宙、感性とテクノロジー」を全体的な作品テーマのひとつにされていると思いますが、生命と宇宙の部分だけでなく、そこに感性とテクノロジーはどのように重なってくるのでしょうか?
私の創作は「セル(細胞・粒)」を概念的な基盤にしています。感性とテクノロジーはどちらも、このセルと密接に関係していると私は思っています。一説には、生命の始まりは遥か昔、ふとしたきっかけで生まれた原始細胞だと言われています。それは身体の内外で物質を交換し、エネルギーを循環させることで生き延びていきました。やがてそれは多細胞生物へと進化し、視覚や聴覚などのセンサー=感性が生まれ、知性が芽生え、知性を外部化していく手段としてテクノロジーを生みました。そうした進化の結果、私たちは感性と知性、テクノロジーをもって、宇宙の中における自らの立ち位置を認識することができるようになりました。このように私は、セルの可能性を開くことで感性やテクノロジーはどのように展開するのか、そしてそれは生命と宇宙の関係性にどのような影響を与えるのかという問いを、作品を通じて探索しているんです。(名和)
ブラックホールは観測できない存在であり、宇宙最大の彫刻である
—–名和さんの「身体の感覚と視覚から得られる情報の境界を認識の変換点として彫刻化する」という考え方とブラックホールの概念に近いものを感じたのですが、ブラックホールからインスピレーションを感じたことはありますか?
「Spark」という彫刻のインスタレーションは、巨大な質量を持った恒星の終焉に起こる爆発と爆縮という相反する現象が、ひとつのインスピレーションになっています。ブラックホールのような、異次元の力によって現実(あるいは現代)に穿たれた裂け目のようなものです。彫刻的な視点で見れば、太陽や地球もひとつのオブジェクトとして扱うことができますから、ブラックホール自体が“宇宙で最大級の彫刻”と言えるのではないか。ただ、ブラックホールが面白いのは、果たしてそれをオブジェクトと呼べるのか、そもそも観測が不可能なところですね。
他方で、去年、ブラックホールに関するドキュメンタリー映像を観たのですが、研究の進展によって過去のブラックホールについての予想がどんどんと更新されており、胸が躍りました。2019年には初めてブラックホールの影が撮影されるなどブラックホールをフィジカルに感じられる世界が近づきつつありますが、一方で、天文学者たちが理論ベースで考えていた当時の計算や思考力にも改めて驚かされますね。(名和)

Spark Installation view: “Cosmic Sensibility,” PACE Seoul gallery, Seoul, Korea, 2023
様々な作品に息づく、名和晃平の「黒」へ向ける視線の先に
アーティストとしての類まれなる感性と、知性やテクノロジーへの探究心が独自の可能性を拡張し、
世界中でその存在感を増し続ける彫刻家・名和晃平。
「黒」という色に対するまなざしも、非常にロジカルでありながらどこかとらえどころが無く変幻自在だ。
東京・谷中の『SCAI THE BATHHOUSE』にて、2025年4月22日~7月12日まで開催予定の個展「Sentient」では、
物質性とそれを知覚する感性という、名和の創作におけるコアとなるテーマに挑戦するという。
これまでの展覧会のような一つひとつのシリーズに特化した表現ではなく、
様々な作品が混沌と入り乱れ、鑑賞者の身体感覚を複数の角度から喚起する空間があらわされる予定。
宇宙と人間、テクノロジーと知性、情報と身体、それらの関係はこれからどんな未来を描いていくのか、
そして人間の感性の行方はどこにあるのだろうか?

名和晃平
彫刻家/Sandwich Inc.主宰/京都芸術大学教授
1975年生まれ。京都を拠点に活動。2003年京都市立芸術大学大学院美術研究科博士課程彫刻専攻修了。2009年「Sandwich」を創設。感覚に接続するインターフェイスとして、彫刻の「表皮」に着目し、セル(細胞・粒)という概念を機軸として、2002年に情報化時代を象徴する「PixCell」を発表。生命と宇宙、感性とテクノロジーの関係をテーマに、重力で描くペインティング「Direction」やシリコーンオイルが空間に降り注ぐ「Force」、液面に現れる泡とグリッドの「Biomatrix」、そして泡そのものが巨大なボリュームに成長する「Foam」など、彫刻の定義を柔軟に解釈し、鑑賞者に素材の物性がひらかれてくるような知覚体験を生み出してきた。近年では、アートパビリオン《洸庭》など、建築のプロジェクトも手がける。2015年以降、ベルギーの振付家/ダンサーのダミアン・ジャレとの協働によるパフォーマンス作品《VESSEL》《Mist》《Planet [wanderer]》の三部作を制作。2018年にフランス・ルーヴル美術館 ピラミッド内にて彫刻作品《Throne》を特別展示。2023年、フランス・セーヌ川のセガン島に高さ25mの屋外彫刻作品《Ether (Equality)》を恒久設置。2024年、ジャレとのコラボレーション4作目となるパフォーマンス作品《Mirage [transitory]》を福岡・博多で公演。2025年5月にはジュネーブで《Mirage》を、10月に京都・11月に東京で《Planet [wanderer]》を公演予定。

飯塚大和
「黒の研究所」研究所員
グラフィックデザイナー・エンジニア。大学で書体デザインとプログラミングに興味を持ち、2019年より岡本健デザイン事務所に所属。紙面のデザインから UI の設計まで、幅広い領域でのものづくりに取り組む。趣味は個人開発、料理、フリースタイルフットボール。