kuro
kuro 研究員
【WONDER#7の疑問】
たとえば漆黒、カラスの濡羽色、檳榔子黒(びんろうじぐろ)……。WONDER第6回後編でお話を聞いた『京都紋付』の荒川さんに「日本語には黒を表す言葉がたくさんある」とうかがった。確かに、英語でいうと“Black”や“Dark”くらいしか思いつかないけれど、日本語だともっとたくさんの表現が見つかりそうだ。そこでWONDER第7回は「黒と言葉」をテーマに探求。一体、どんな言葉が、どのくらい存在しているのだろう?

黒を表す言葉、いくつある?|前編

突然だが、「黒橡」という言葉をご存じだろうか。
読みは「くろつるばみ」。クヌギの実(ドングリ)を煮て染めた色で、昔は武士の衣装にも使われていたという、茶褐色を帯びた深く沈んだ黒だ。

日本語には、「黒」を表す言葉が多く存在する。「黒橡」のように色を表す言葉はもちろん、単なる色名にとどまらず、人の感情や現象を背負う表現も少なくない。「黒髪」「黒星」「黒塗り」といった日常語から、「影を落とす」「無明の闇」など、文学や信仰にみられる象徴的な言い回しまで、黒に関連する表現は多岐にわたる。

なぜ、これほどまでに多様な「黒の言葉」が生まれたのか。WONDER第7回では、日本語学を専門とされている丸田博之先生とともに、日本語における「黒」の多様な表現と、その背後にある歴史的、文化的背景を紐解いていく。

日本語がつくりだす微細な黒のグラデーション

「”黒”という語を使った言葉はいったいどれほどの数が存在するのでしょうか?」と丸田先生へストレートな問いを投げかけたところ、「黒という語を使っているものとなると、実に多様な日本語が存在します。日本語に限らず、外国語にも黒を象徴的に使った表現は多くあるのですが…ただ、日本語の場合は独自の繊細な感覚と結びついて、多様に広がっていったように思いますね。ご提示できる言葉の数がご要望に叶うかどうか、自信はありませんが…」という言葉とともに、ご要望に叶うどころではないほど膨大な数の「黒の言葉」が返ってきた。

まず紹介したいのは、「黒」という色そのものを表す言葉ですね。たとえば、黒檀、檳榔子黒、黒鳶、黒橡、漆黒、蒼黒、暗黒色、鉄黒……いずれも、色名として成立しており、特定のニュアンスを帯びた「黒」の表現として用いられてきました。中には、冒頭で触れた「黒橡(くろつるばみ)」のように、色自体を生み出す際に用いられた植物や染料の名前が含まれているものもあり、言い換えれば、それらの色名は、単に視覚的な色味を示すだけでなく、色名が生まれた当時の暮らしや、そこに根付く植生的な背景までもを語っています。(丸田)

黒という色そのものを表す言葉】

◼︎黒檀(こくたん)
非常に硬くて重い木材の色。深い黒にわずかに茶色や赤みを帯びた黒

◼︎檳榔子黒(びんろうじぐろ)
東南アジアに生育する檳榔樹(びんろうじゅ)の種子を原料とした黒。わずかに青みを帯びた深い黒で、古くから染色に用いられてきた

◼︎黒鳶(くろとび)
鳶(とび)という鳥の羽色に由来する黒褐色。黒に近い濃い茶色

◼︎黒橡(くろつるばみ)
橡(=クヌギの古名)の実を煮出して染めた黒。わずかに茶色を含んだ、土や木を連想させる黒

◼︎漆黒(しっこく)
完全な黒。闇のイメージに近い最も濃い黒

◼︎蒼黒(そうこく)
薄い青味を帯びた黒。深く冷たい印象を持つ

◼︎暗黒色(あんこくしょく)
非常に暗く、光がないような黒色。

◼︎鉄黒(てつぐろ)
鉄のように黒い色。化学で用いられる「iron black(=アンチモンの黒色微粉末)」の直訳

以下に、丸田先生から挙げられた色名称の図版を紹介する。名前とともに、それぞれの黒の深みや差異を見比べてみてほしい。

図版に並ぶ黒を見てみると、一口に「黒」といってもその表情は実に多彩である。例えば「黒檀」の赤みを帯びた黒からは硬くて重い木材の質感が想起され、「檳榔子黒」の遠い夜空のような深い青みを含んだ黒からは、どこか静謐な印象を受ける。「黒鳶」や「黒橡」は紫や茶の気配があり、温もりを含んでいるようにも感じられるが、一方で「蒼黒」や「鉄黒」からは、冷たさや硬さといった、金属や鉱物を思わせる質がある。

『黒の研究所』ではこれまで「黒とは何か」をめぐって、物理的に光を反射しない状態=「完全な闇」としての黒にも目を向けてきた。だが、言葉の世界において「黒」という色は、視覚的な再現性や数値だけではとらえきれない、感性を共有する表現として育まれてきた。黒のスペック…ではなく、黒に別の語が組み合わされることによって、言葉から受ける色の印象は様々に変化し、異なる自然環境、暮らしといった背景との結びつきを連想させ、有機的な表情のようなものを感じさせるようになる。

ヤシ科の植物・檳榔樹(びんろうじゅ)の種子「檳榔子(びんろうじ)」。檳榔子黒は、藍を下染めに檳榔子で染められた最高級の黒染めの色であるといわれる
黒橡(くろつるばみ)の染色に使用されるクヌギの実(ドングリ)。黒橡は、ドングリに含まれるタンニンと鉄を反応させて染める伝統的な色


丸田先生にうかがった黒の言葉をあらためて見渡して気づいたことがある。それは「黒」を使った数多くの言葉が、

(A)色としての黒に由来する言葉
(B)黒の概念に由来する言葉

という構成に、大きく分類することができるという点である。

実際に丸田先生にうかがった言葉を2つの視点から整理し、分類の中に潜む日本語表現の豊かさに注目してみたい。

【(A)色としての黒に由来する言葉 】

【(B)黒の概念に由来する言葉 】

なぜ「黒」の日本語表現はここまで多様なのか?

これほどまでに「黒」を使った言葉が多様なバリエーションを持つのはなぜなのか? ここまで紹介してきた言葉に含まれる「黒」には、「色としての表現」に加えて、「見えない」「わからない」「隠れている」といったニュアンスを含むもの、白とセットにされたものなど、さまざまな表現が登場するが、こうした広がりを可能にした要因の一つとして、丸田先生は「黒」という色の曖昧さに注目している。

どうして「黒」がこれほどいろいろな状態や感情と結びつく豊かな表現を生んだのか、と問われると、まず「黒が無彩色である」という点が大きいと思うんですよね。有彩色は色がはっきりしているからこそ、逆にそのイメージの範囲が限定されてしまうんです。でも「黒」は色でありながら、ある意味で「色でない」。その曖昧さがあるからこそ、いろいろなイメージや意味に広がっていくのだと思います。(丸田)

「黒」は色であり、同時に色がない状態でもある……これまでもWONDERでは「黒って色なの?」という、明確な答えに辿りつきがたい問いを探求してきたが、言葉の世界でも「黒」は色としての表現の枠を超えた広がりを見せる。実際に、ここまでで紹介したような言葉のなかにある「黒」は、おそれ・悪・陰・不正・秘密など、比較的ネガティブに寄った概念を含む言葉が大半を占めるが、一方で、「黒」は必ずしも一様に否定的なものではない。以下のように例外として、中立的、またはあまり意味を持たない「黒」も存在するのだ。

表現を豊かにした土壌としての、語源

色名称から、感情や状況、社会的な役割にまで幅広く使われる黒。その背景には、視覚的な情報以上に、「黒」という語がもつ文化的な土壌があるように思える。この点について、丸田先生は語源の話を交えながら、次のように説明してくれた。

こうした曖昧で多面的な「黒」の性質は、そもそもの言葉の成り立ちとも関係しています。「くろ」という語の語源は「くらい(暗い)」にあるとされ、人間が本能的に恐れや不明確さを抱く「闇」と密接に結びついています。対照的に、「あか」は「明るい」が語源とされ、黒と赤は、明暗という感覚の対比から意味を発展させてきました。また、古代日本語において、色を表す基本的な言葉は「黒・白・赤・青」のわずか4つしかなかったとされます。これには中国から伝わった陰陽五行思想の影響もあるのですが、黒は北、冬、恐れ、そして水の属性と結びつけられます。こうした思想的背景の影響もあり、黒という語には重層的な意味がもたらされてきたのだと思います。(丸田)

ここで丸田先生にうかがった内容は、WONDER第3回後編で日本色彩学会の名取先生が語られていた「古代の日本語における色彩観」について、「色そのものではなく“光の状態”としての認識が原点にある」という内容にも通ずるものがある。そこでは「黒」は闇という空間との結びつきが強く、「不安」「死」といった人間の根源的な体験とともに言語化された色であり、時代を重ね、多様なイメージが積み重なっていったという知見をいただいたが、そういった根源的な感情や時代とともに生まれる文化、そして個人的な体験の蓄積による概念が、黒を使った日本語表現の豊かさの土台となっているのだろうと考えられる。

「黒」にまつわる日本語表現の広がり

前編では、丸田先生に教わった「黒」という語を使った日本語表現を「(A)色としての黒に由来する言葉」と「(B)黒の概念に由来する言葉」の2つに分類した。それらをよく見ていくと、どちらのグループにも、古くからある言葉だけでなく、比較的新しく感じるような言葉も混ざっているように思える。「黒」を表す言葉には、時代や文化の影響もあるということなのだろうか?

「“黒”という語が象徴的な意味を帯び、時代や文化を反映した比喩表現としても広く使われるようになるのは、実は意外と新しくて、室町時代あたりからなんですね。ここまでは“黒”という語を使った日本語表現の豊かさについてお話してきましたが、実は日本語には“黒”という字を使わずに黒を表す言葉もたくさんあるんです。」(丸田)

「黒」という語のイメージが広がりをみせていったのは、丸田先生曰く、歴史のなかでも比較的新しい、室町時代以降のこと。後編では、「黒」という語を使わずに「黒」を表す言語表現にも焦点を当てながら、日本語の世界における「黒」の歴史を学んでいきたいと思う。

___後編へ続く


今回お話を聞いた人

丸田 博之

京都先端科学大学人文学部特任教授。京都大学文学部卒業。同大学院博士後期課程修了。文学博士。専門は日本語学。室町時代に来日したキリシタン宣教師が残した日本語文献の研究を皮切りに、茶道、能楽、狂言など室町文化全般及び戦国時代史に研究を拡大。近年は語源学や漢字研究などの分野でテレビ出演並びに番組監修等担当。密かな『ARMANI』のファン。身近なところでは『ZARA』の「黒」も愛用している。1958年京都生まれ。